不滅のジャイアンツV9初期の大エース!城之内邦雄投手

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読売ジャイアンツ不滅のV9は、1965年から始まっており、この年のジャイアンツのエースは実質!城之内邦雄投手で21勝12敗。

実績と風格はエースだった(笑)金田正一投手が11勝6敗でしたが、中村稔投手が20勝4敗で、通称「8時半の男」リリーフの宮田征典投手が20勝5敗と、なんと!20勝投手が3人もいました。

通称「エースのジョー」=城之内邦雄投手は、V9の始まる3年前に社会人野球から読売ジャイアンツに入団。

1年目の1962年に24勝12敗の好成績で新人王に輝き、この年は4位Bクラスに低迷したジャイアンツには明るいニュースで、1963年も17勝14敗で優勝に貢献しています。

1964年もチームは優勝を逃し3位でしたが、城之内邦雄投手は18勝16敗と押しも押されぬエースでした。

1966年のV2も城之内邦雄投手は21勝8敗と大貢献でしたが、前年20勝の中村稔投手が11勝7敗、同じく宮田征典投手が5勝3敗、金田正一氏も4勝6敗と成績を落としましたが、ここで新星が現れています。

それは新人の堀内恒夫氏で、なんと1年目に16勝2敗の大活躍で、更に通称「メリーちゃん」=渡辺秀武投手が初の二桁勝利の13勝6敗、高橋一三投手が6勝5敗と若手が台頭し見事にV2を達成しています。

そして南海ホークスとの日本シリーズでも、城之内邦雄投手は2勝を挙げ最優秀投手賞に選ばれました。

 

1967年のV3も、ジャイアンツの勝ち頭はやっぱり!城之内邦雄投手で17勝8敗。正に!「エースのジョー」の安定した活躍ぶりでした。

城之内邦雄投手の投球フォームはダイナミックで、背番号15をバッターに見せるように体を捻る後の野茂英雄投手のトルネード的な投法は迫力がありましたね〜。

そしてこの年は、実績と風格はエースだった金田正一投手が16勝5敗の好成績!(ジャイアンツ時代最高成績)、「メリーちゃん」=渡辺秀武投手が再び二桁勝利の13勝6敗。

2年目の堀内恒夫投手がちょいと成績を下げ12勝2敗、高橋一三投手が伸び悩んで6勝7敗でしたが、菅原勝矢投手が突然!大化けして11勝4敗でV3達成しました。

日本シリーズにも強い城之内邦雄投手は、この年も阪急ブレーブス相手に2勝し、2年連続で最優秀投手賞を受賞と絶好調!

1968年は、菅原勝矢投手が4勝1敗、渡辺秀武投手も1勝3敗と大きく数字を落としますが、堀内恒夫投手が17勝10敗で初のチーム勝ち頭で、流石の!城之内邦雄投手が11勝7敗、金田正一投手が11勝10敗。


この年はV9以前に2年連続二桁勝利を挙げた後、3年間不調だった高橋明投手が9勝8敗と復調し、相変わらず伸び悩んでいた高橋一三投手が7勝3敗、倉田誠投手が6勝5敗と、ピッチャーの数で猛追する阪神を振り払ってのV4を達成した年でした。

また、城之内邦雄投手も勝ち星は落としていますがこの年、大洋戦でノーヒットノーランを達成!

前年の堀内恒夫投手の達成に続いて2年連続での、ジャイアンツ投手陣のノーヒットノーランでしたが、1970年には渡辺秀武投手も記録しており、V9時代に3人もノーヒットノーランを達成しているわけですから、ON砲は確かに凄かったですが、やはり投手陣が当時のジャイアンツは強力でしたね。

 

ちなみにV9の前半、V1からV4のここまでの4年間の日本シリーズで、大試合に強い金田正一投手が6勝、城之内邦雄投手が5勝あげており、この2投手の功績はとても大きいです。

そして1969年は遂に!高橋一三投手が大化けし22勝5敗のチーム勝ち頭で、堀内恒夫投手は14勝13敗。

高橋明投手も前年に引き続き10勝5敗、渡辺秀武投手も復調し10勝8敗の好成績でしたが、城之内邦雄投手が4勝5敗と年齢的な限界と、新旧交代を感じさせています。

また、金田正一投手が通算400勝を達成しますが、5勝4敗で成績はふるわずこの年で引退しましたが、チームは見事にV5達成。

 

阪急ブレーブスとの日本シリーズ金田正一投手が2試合(1試合は先発)、城之内邦雄投手がリリーフで1試合に登板してますが、共に勝ち負けはつきませんでした。

1970年は渡辺秀武投手が大化けし23勝8敗でチームの勝ち頭。安定の堀内恒夫投手が18勝10敗、高橋一三投手も数字を落としますが12勝10敗。そして意地の城之内邦雄投手が7勝6敗でV6を成し遂げています。

 

が、ロッテオリオンズとの日本シリーズで、城之内邦雄投手は登板機会はありませんでした。

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毎年のように意外な活躍をする投手が出てくるジャイアンツでしたが、1971年は関本四十四投手が10勝11敗で初の二桁勝利を挙げ、安定の堀内恒夫投手が14勝8敗、高橋一三投手が14勝7敗。

そして渡辺秀武投手が数字を落としますが10勝12敗と、二桁勝利投手が4人でV7を達成しますが、城之内邦雄投手は1勝で終わり、首脳陣との確執もあったようで、この歳で引退しています。

城之内邦雄投手が凄いのは、通算141勝は勿論ですが通算防御率が2,57と2点台で、やはり昔のエースですから完投と完封が多いところです。

城之内邦雄投手の完投は112で完封は36。通算203勝の堀内恒夫投手が流石に!完投178ですが、完封は37(防御率3,27)と城之内邦雄投手と1つ違いですので、この完封数は凄い! 

また時代は違いますが、通算135勝の江川卓投手は110完投で城之内邦雄投手に近いですが、27完封で防御率3.02と、城之内邦雄投手より完封、防御率は劣っています。

また、平成の大エースと謳われた通算180勝の斎藤雅樹投手は完投113で完封40、防御率2,77で、勝利数は圧倒的に斎藤雅樹投手が上回ってますが、完投、完封、防御率は城之内邦雄投手に最も近いです。

通算173勝の桑田真澄投手が完投118、 21完封、防御率3,55。通算159勝の槙原寛己投手が113完投、35完封、防御率3,19。

江川卓投手と二枚看板だった西本聖投手が通算165勝で、122完投、23完封、防御率3,20。

というわけでV9前後から平成にかけて、読売ジャイアンツのエースと謳われた通算100勝以上投手で、 完封30以上は斎藤雅樹投手、堀内恒夫投手、城之内邦雄投手の3人だけで、通算防御率2点台は斎藤雅樹投手と城之内邦雄投手の2人だけです。