高中正義氏の1979年末から1980年代初頭の大人気は、もっと再評価されて良いと思うな〜♪

横浜スタジアムが開場したのが1978年4月4日。

1980~1981年に、国内ギタリストでは初めてではないかってほどの、突然の!「TAKANAKA」=高中正義氏の大ブームが起きています!

 そんな「TAKANAKA」大ブーム真っ盛りの1981年8月2日に、高中正義氏とあの!カルロス・サンタナのスーパーセッションが実現しましたが、いやーこれはもの凄い事件でしたね〜。

いかに集客力のあるカルロス・サンタナとのライブとはいえ、こないまで日比谷野音や六本木ピットインで演奏していたギタリストが、横浜スタジアムですから〜、そりゃーびっくりしますよね。 

まぁ〜この当時の高中正義氏は関係各位が優秀だった事もあるのでしょう、時代の空気が「TAKANAKA」サウンドにマッチしてきたのを直感してたと思いますが、他にも企画が素晴らしかった。

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 「TAKANAKA」大ブームのとっかかりになったのは、1979年12月発売のアルバム「JOLLY JIVE」のA面1曲目に収録されている「ブルーラグーン」です。

でも、この曲がシングルカットされるのは翌1980年5月で、 この曲がお茶の間で広く知られるようになったのはパイオニアのCMで使われたからで、アルバム発表から若干タイムラグがあります。

そのタイムラグを埋めたのが、 「JOLLY JIVE」発表後の12月23〜24日に行われた人気の井上陽水氏との日本武道館でのジョイントライブで、これが夕方枠ですがテレビで放映されました。

当時の高中正義氏に、単独で日本武道館でライブをやれる集客力はなかったですし、それをテレビ放映しても視聴率がとれるわけもないので、人気の井上陽水氏とのジョイントは企画の勝利でした。

勿論!いくら企画しても、提供するサウンドが大衆にそっぽを向かれてはダメですから、結果的に高中正義氏の才能あっての大ブームですが、それにしてもこのジョイントライブのアイデアは素晴らしかった。



1980年3月に、そのテレビ放映もされた井上陽水氏とのジョイントライブの、高中正義氏のライブ音源が「SUPER TAKANAKA LIVE!」として発売。

勿論!大ヒットする「ブルーラグーン」もA面1曲目に収録されてますから、売れないわけがないです。

更に前年1979年6月には、その後の大ブームを見越していたのか?と思ってしまうほどタイムリーに、2枚組のベストアルバム「All Of Me」が発表されており、これもバカ売れ。 

ブルーラグーン」収録の 「JOLLY JIVE」、そして人気爆発の1980年6月発売のアルバム「T-WAVE」含め、1980年の高中正義氏のこれらアルバム4枚は相当!売れたと記憶しております。 


まぁ〜高中正義氏は、以前よりもの凄く売れた吉田拓郎氏や井上陽水氏など、当時で言う「フォークの人」にギター奏法、サウンドが好まれており、ツアーやアルバムにも参加していました。
 
ですから、おそらく井上陽水氏や高中正義氏のソロレコードも手がけていたキティレコード、キティグループの創業者である多賀英明氏の、この辺は全て企画なのでしょう。

サラリーマン社会だけでなく音楽家もやはり「引き」がないと、なかなか売れるのは難しい。「引き」と事務所の力とセンス、そして時代の空気にマッチしないと売れないのは、芸能人も音楽家も同じです。

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高中正義氏は大ブレイクの前、サディスティック・ミカ・バンドのギタリスト時代からロンドンで公演もやっており、ギターキッズと音楽業界界隈では有名な方でした。

又、商業的に成功とは言い難かったですが(その後ロングセラーになりますが)、バンドのアルバム「黒船」も 、その界隈には高い評価を受けておりました。

おそらく時代的に、リターン・トゥ・フォーエバーの通称「かもめ」の影響と私的には思っておりますが、高中正義氏は既に1976年7月にはソロアルバム「SEYCHELLES 」を発表しています。

こちらも商業的に成功とは言えませんでしたが、界隈では高く評価され、「JOLLY JIVE」の大ブレイク以前に、高中正義氏は4枚もソロアルバムを発表しており、その界隈ではどのアルバムも高好評でした。

更に高中正義氏の追い風になったのが、その無国籍な所謂「トロピカルサウンド」が、1980年前後にふってわいたサーファーブームに見事にマッチしたんですね。


高中正義氏が大衆迎合していたわけではなく、時代が「TAKANAKA」サウンドを求め出したわけで、見事に「JOLLY JIVE」、そしてシングル「ブルーラグーン」が、それにどハマりしました。

更に言えば!今では当たり前ですが、当時は小型の誰もが求めやすい値段のエフェクターが各社出だした
時期で 、1980年に創刊されたリットーミュージックの「ギターマガジン」がこれらを紹介。

名のあるギタリスト達の奏法解説と共に(勿論、高中正義氏も登場)、エフェクターによるサウンドメイキングも紹介され、これもまた!独特の音色を誇る「TAKANAKA」サウンドの追い風になっていました。

もっと言えば、サンタナとのジョイント以降ですが、当時は高価で贅沢品だったレーザーディスク。そしてレンタルレコード・ビデオの時代になり、高中正義氏のライブ映像は、それにもまたハマったんです。

レーザーディスクとビデオを売りたい大手家電メーカー、大手レコード屋でガンガン高中正義氏のライブ映像は映し出され流ようになったわけで、これは1983年頃まで続きましたね。

 

ブルーラグーン」が大当たりしたパイオニアは、自社のステレオ、音響機器を売りたいですから、気をよくして引き続き高中正義氏のCMを制作。

追ってハイシーAやマツダのファミリア、東芝のCMにも使われ、当時「TAKANAKA」サウンドは普通にお茶の間に深く浸透していました。

まぁ〜この辺は高中正義氏に限らず、当時はテレビCMや人気テレビ番組の主題歌、挿入歌に使われれば大ヒットという時代でしたし、カシオペアザ・スクエアもテレビCMで人気を得たバンドです。

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とは言え!企業が社運をかけ広告代理店を仲介に入れ、莫大な投資をして作るCMですから、そこに選ばれるのは簡単な事ではない。

イオニアは音楽機器メーカーですから、「TAKANAKA」サウンドを自社の機器を買って聴こう!という趣旨はわかりますが、音楽と関係ないハイシーAやマツダのファミリアになると、これは企業イメージ。

それほど当時の「TAKANAKA」ブームというのは、凄まじいものがあり、まぁ〜時代はバブルに向かって一直線の浮かれ気分でしたから、これもノリの良い 「TAKANAKA」サウンドの追い風になってました。

まぁ〜1ギタリストの高中正義氏の大ブームは、それまで音楽業界ではなかった現象で、サンタナとのジョイントライブをピークとすると、その後は勢いが徐々に衰えましたが、バブル時代までそのブームは続いたような記憶があります。

というわけで、リアルタイムを知らない人でも、あの!バブルに向かって一直線時代を想像するなら、私的には「TAKANAKA」サウンドを聴いてくると良いと思っています。