「金を持っていない女は無価値だ」の、小説「わるいやつら」の戸谷信一の描き方が映画、ドラマでは異なる

わるい

 

・槇村隆子 ー 松坂慶子
・藤島チセ ー 梶芽衣子
・横武たつ子 ー 藤真利子
・寺島トヨ ー 宮下順子
・田中慶子 ー 神崎愛

松本清張氏原作の小説は、今も昔も何度も映画化やドラマ化される、氏の作品は日本人の琴線に触れるものと私は思っております。

ただ、テレビや映画にもギャラを貰ってる脚本家と映画監督がいますし、出演する俳優達は所属事務所の商品。

その俳優には、大企業が莫大な出演料を支払ってるCM契約もあったりするので、そのイメージが損なわれる役柄を演じると事務所にクレームが来る場合もあります。

ですから、だいたい原作とは、ちょっと変わった物語やキャラクターになるのが常。

1980年、松竹が放った傑作映画!野村芳太郎監督の「わるいやつら」もそんな一作で、主人公の世襲二代目病院医院長の戸谷信一は、原作と映画ではかなりキャラが異なります。

映画の戸谷信一はチャラい世間知らずのボンボン世襲医院長で、歌舞伎の片岡孝夫氏が好演してますが、小説の戸谷信一は、もっと可愛げのない嫌〜な奴です。

小説の戸谷信一は医師としてやる気はなく、親から譲り受けた病院も、あまり美しくない金のある年上女性二人から言葉巧みに金を巻き上げ、その金で運営してる、どうしようもないクズ野郎。

映画、テレビでは原作通りの美人ではない女性像では商売にならないからな〜

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そんな男ですから「金を持っていない女は無価値だ」が信条で、この戸谷信一の信条こそが!原作の「わるいやつら」の一連の事件の動機なんです。

で、、、

原作の、あまり美しくない金のある年上女性二人のうちの一人、家具屋の女房の横武たつ子殺害の動機は、亭主の死亡で女房の横武たつ子が親族から疑惑の目を向けられ、家具屋の経営から遠ざけられた事。

そんな理由で親族に追い詰められ行き場のない横武たつ子は、戸谷信一に結婚を迫る「面倒臭い女」になった事で殺意を抱かれるようになります。

横武たつ子から、もう金を引っ張れない。金を引っ張れない中年女に用はない。

原作の戸谷信一は「そういう奴」で、更に過去の横武たつ子が家具屋の売り上げから自分に貢がせた金が発覚すると、何かと面倒くさいので横武たつ子が邪魔になるのが、殺害動機なんです。

これにて戸谷信一は、横武たつ子から金を引っ張れなくなったので、金を引っ張れない中年女に用はない。

一方、映画の戸谷信一は横武たつ子に殺意を抱いていません。プレイボーイの唯のセフレの一人です。

映画「わるいやつら」と六本木のディスコ「GIZA


更に、映画のオープニングは当時オープンしたばかりの、六本木の最新ディスコ「GIZA」での外人モデル達による華やかなファッションショー。

映画はこの華やかなファッションショーで、戸谷信一はファッションデザイナーの槇村隆子と出会っており、映画版の戸谷信一はチャラ男のプレイボーイ気どりを、最初から観客に印象づけています。

このへんの戸谷信一の軽さが、映画がヒットした原因かもしれないです。原作の戸谷信一は、女を食い物にして病院経営してるクズなので、同性でも好感度は0ですが、女性だったらもっとムカつきますから。

で、、、

わるいやつら」の原作が「週刊新潮」に連載されていたのは、1960年から1961年と、まだ前回の東京五輪以前の小説。

一方、映画は上映時期が、後にバブルと命名される時代に一直線の1980年です。

原作とは時代背景が全く違いますし、冒頭のファッショナブルな映像とサウンドからして、映画「わるいやつら」は小説とは異なる、かなり映画独自のオリジナルな作品ということがわかります。

そして戸谷信一だけでなく、周りの女達のキャラクターも小説と映画では変わっており、映画で、戸谷信一のセフレの一人、横武たつ子を演じた藤真利子さんは、1980年当時25歳で容姿端麗の話題の美女。

全然、原作の美しくない中年女性ではありません(笑)。



この辺は、活字の小説とビジュアルの映画やドラマの差でしょうね〜。

映画はお客さんがお金を払って映画館まで観にいく興行ですから(当時、まだレンタルビデオの時代ではなかったし)、出演者に「綺麗どころ」がいるといないとでは、観客動員と収益に差が出てしまう。

せっかくお金を払って時間を割いて劇場まで観に行く映画ですから、男としては「綺麗どころ」を見たいし、おっぱいでも出してくれれば更に!嬉しいのは今も昔も同じです(笑)。

小説は亡き先代医院長の愛人で、倅の戸谷信一とも関係があった婦長の寺島トヨが横武たつ子に嫉妬し、戸谷信一は他の女とも関係があると告げ口したので、横武たつ子は半狂乱で病院に乗り込んできます。

このへんも映画版は違いますし、横武たつ子を劇薬投与で殺害するのは映画版では寺島トヨで、戸谷信一は手を下してません。

でも、原作では睡眠薬を飲ませ横武たつ子を眠らせ静かにした後、寺島トヨは戸谷信一を押し倒しセックスして、二人で邪魔者の横武たつ子を殺害してます。

その婦長の寺島トヨを映画で演じたのは、にっかつロマンポルノで一時代を築き一般映画にも出演していた、映画上映当時31歳の宮下順子さん。

映画では戸谷信一に、殺されかかったのに最後まで一途な愛を貫く婦長役を好演しましたが、小説の寺島トヨは、そうではないのが映画と小説の大きな違いです。

そしてもう一人の、原作ではあまり美しくない中年女の筈の高級用品店経営者の女房の藤島チセも、映画版では1980年当時33歳の美人の梶芽衣子さん。

梶芽衣子さんの藤島チセは、実に!艶っぽく色っぽい女性です。

このへんも繰り返しますが、映画は活字の小説と違いビジュアル興行。原作と異なるのはしょうがないでしょう。

映画館の大画面で、本当にあまり美しくない中年女の女優が演じる藤島チセ、横武たつ子なんて、金出して時間割いて、わざわざ観にいきたくないのが人情ですから(笑)。

映画「わるいやつら」出演頃の、梶芽衣子さんの美しさ!

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ちなみに映画では、横武たつ子は家具屋から大きな材木屋の女房、藤島チセは高級洋品店から高級割烹の女房&女将に、設定が変わってます。

原作では、戸谷信一が惚れたこともありますが、新たな金のなる木ということで洋品店経営の槇村隆子と結婚したくなります。

でも、用心深い槇村隆子が要求してきた病院の財産基盤の照会が、女の金での自転車創業なので見せられない。

だから、戸谷信一に入れ上げてる金ずるの、あまり美しくない中年女=藤島チセに、戸谷信一は経理の偽装のために結婚を餌に金の無心に行く、厚顔無恥なクズの中のクズです。

でも映画では、戸谷信一が金が必要にある理由が小説とは全く違います。

映画でも梶芽衣子さん演じる美しい藤島チセに、借金の無心に戸谷信一は行きますが、戸谷信一が金が必要になる動機は、槇村隆子についてるらしいスポンサーの銀行と張り合う為の見せ金。

別居中の女房(神崎愛さん)との離婚の慰謝料はあるにしろ、この肝心の動機が違ってます。

また、戸谷信一に一途に惚れ込んでる藤島チセは原作と違い、映画では逆に戸谷信一を弄んでるような、女の余裕を感じさせます(梶芽衣子さんの美貌もあってですが)。

そして小説の槇村隆子も美人でやり手の設定ですが、それなりの資産家なので金に汚い戸谷信一が狙うわけですが、映画では槇村隆子は苦労人の成り上がり者という設定。

だから、ボンボンのプレイボーイ気取りの戸谷信一は、愛欲の他にも、そんな彼女の力になりたいという純な一面も感じさせており、全く原作の人間のクズと映画ではキャラが異なります。

映画はやはり1978年の「事件」 、1979年の「配達されない三通の手紙」、1980年の「五番町夕霧楼」で、20代後半にして大ブレイクした松坂慶子さんを、更に推したい松竹の意図がはっきり見えます。

原作の慎重な槇村隆子と違い、映画の松坂慶子さん演じる槇村隆子は、そんな戸谷信一を弄んでいるように見えますし、あの映画のラストの再びの「GIZA」でのシーンは原作にはありません。


あれは槇村隆子を演じる松坂慶子さんを、一層!際立たせる為の映画のオリジナルです。


原作のテーマは、医者が書いた死亡診断書なら役所は簡単に通り警察も介入しない。こんなに容易く完全犯罪ができてしまうという、行政の盲点!

これが「わるいやつら」の肝であり、今もこれは現実の世界でも変わってないのではないでしょうか?

でも、この完全犯罪は意外なところから警察にバレてしまいます。

というわけで、何故?この完全犯罪が警察にバレたのか?も、原作と映画では異なりますので、小説は読んだけど映画を観てない人、映画は観たけど小説は読んでない人は、両方確認すると面白いです。

とにかく「わるいやつら」は、小説も映画も傑作です!