1978年、ヤクルト・スワローズ初優勝はセンセーショナルだったな〜♪

 


1978年、就任3年目の広岡達朗監督率いるヤクルト・スワローズは、球団創設以来初優勝しました。

その後、西武ライオンズで名監督の名を欲しいままにした広岡監督ですが、監督業はヤクルトが初めてで、当時はそれほど名のある監督ではなかったです。

1976年に開幕ダッシュに失敗した荒川博監督が5月に休養。広岡コーチが監督に昇格したわけですが、チームはそのまま低迷して5位。

ヤクルト・スワローズは、前身の国鉄スワローズ時代から万年Bクラスの弱小球団で、優勝はおろかAクラスは国鉄時代の1961年に一度、就任一年目の荒川監督の1974年の3位が二度だけ。

広島東洋カープが1975年に初優勝したので、セリーグで優勝経験のないチームはヤクルト・スワローズだけになり、ヤクルトは当時のセリーグ最弱球団という認識が野球ファンでは普通でした。

image

WordPressを使うならロリポップ!
簡単インストール完備で楽々スタート!


さて!広岡監督といえば西武ライオンズ監督時代の選手の日常まで管理するので有名でしたが、それを最初にやったのはヤクルト監督2年目の1977年。

春季キャンプより「麻雀禁止」・「花札禁止」・「禁酒」・「ユニフォーム姿での禁煙」・「練習中の私語は禁止」などと、徹底的な管理を行い、何と!チームは球団初の!2位になっています。

それでも!前年2位とはいえ、ヤクルトが優勝するとは1978年のシーズン前に予想していた人は評論家含め少なかったでしょう。優勝候補は断然!前年優勝、3連覇を目指す読売ジャイアンツ(監督は長嶋茂雄氏)でした。

5月終了時、予想通り読売ジャイアンツは首位でしたが、2位大洋とは0.5ゲーム差。3位のヤクルトとは1.5ゲーム差の大激戦。

6月終了後にヤクルトは首位にたちますが、その後は9月まで読売ジャイアンツが首位を奪取。9月6日にヤクルトは再び首位に返り咲き、10月4日、球団創立初の!リーグ優勝を決め世の中を驚かせました。

この年はヤクルト一筋!ベテランのエース松岡弘投手が16勝2セーブ、こちらもヤクルト一筋で4年連続二桁勝利の絶好調!安田猛投手が15勝4S。

こちらも前年の14勝に続いて絶好調、13勝3敗の最高勝率の鈴木康二郎投手に、1970年よりヤクルト一筋!井原慎一朗投手も10勝4セーブと自身のプロ野球生活最高の成績の、二桁勝利投手が4人となかなかの投手陣でした。

打線も1年目のヒルトンが打率.317、19本塁打の大活躍。もう一人の3年目の主砲マニエルも打率.312、39本塁打

ベテラン大杉勝男氏も打率.327、本塁打30本。こちらもベテランの若松勉氏も2年連続の首位打者はなりませんでしたが打率.341(打率2位)、17本塁打で最優秀選手に輝いています。

 


更に!リーグ優勝だけでもたいしたもんだって感じでしたが、なんと!日本シリーズ読売ジャイアンツが二年連続敗北、日本シリーズ3連覇中の最強!阪急ブレーブスも4勝3敗で日本一!

これは当時の野球ファンには、誠にセンセーショナルでしたね〜。それほど阪急ブレーブスは強かったですから。 


というわけで、今や日本一6回と読売ジャイアンツ22回(1リーグ時代別)に次ぐ強い!ヤクルト。そんなヤクルト初優勝の1978年の爺の想い出話でした。