イボンヌ・エリマンは、エリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」のバックコーラスと、自身の「アイ・キャント・ハヴ・ユー」で全米1位を獲得した!

 

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まあ、リアルタイム当時はインターネットもなければ、未だMTVもない時代だったので、この映像を観た日本人は殆どいないわけです。

が、エリック・クラプトンの自身初の全米チャート1位を獲得した「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」(I Shot the Sheriff)。

1974年に発表されたアルバム「461 オーシャン・ブールバード」収録(アルバムも全米1位)の、ボブ・マーリーのカヴァー曲ですが、未だ当時の日本ではレゲエという音楽は馴染みがなく、色々な事を後から言う人がおります。

が、クラプトンがこの曲をカヴァーヒットさせた事で、レゲエもボブ・マーリーも日本では一般的に知られるようになったというのが、本当のところ。

エリック・クラプトンにもベックにも、スーパーバンドでの1リードギタリストを、当時のロックファンは期待していた!

で、当時は賛否両論あった、バックコーラスに女性を従えてのエリック・クラプトンのこのスタイル。

今ではごく普通、当たり前の構成なわけですが、当時は未だ4、5人の男ばかりのマッチョなロックバンドを、クラプトンに限らず、誰にでもロックファンはのぞんでいました。

例えばレッド・ツエッペリンやディープ・パープル。マウンテンのようなバンドが、それです。

特にクリーム、ブラインド・フェイスで、そういうスタイルの先駆者だったエリック・クラプトンには、よりそういうバンドスタイルを期待していたので(ベックにも)、、、

ハードでもヘビーでもないレゲエのリズムに乗せた「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」を、女性コーラス入れて歌うクラプトンのこのスタイル、、、

賛否両論と書きましたが、ロックファンには否定的な人が当時は多かったです。

これはソロになってインストアルバムを発表したベックしかりで、クラプトンやベックには、マッチョなスーパーバンドの中のスーパーギタリストを期待する声が、特にロックファン、ギターキッズには多かったからです。

このへんは当時の時代の空気がわからないと、今の若い世代、或いは1970年代初頭には生まれてなかった世代には、わかりずらいかも知れないです。

まあ、レッド・ツエッペリンやディープ・パープルやグランドファンク。

フリーやバッド・カンパニーピンク・フロイドにイエスキング・クリムゾンにエマーソンレイク&パーマ、そしてザ・ローリングストーンズ等々、、、

当時の人気ロックバンドに、女性は全く入ってません。

当時のロックファンは、こういうマッチョなバンドの中でギターを弾くクラプトン、ベックを多いに期待してたわけです(所謂スーパーバンドで)。

ジミー・ペイジと違い、バンドの中の1ギタリストをやめた、エリック・クラプトンジェフ・ベック

そして、バンドの中の1ギタリストではなく、ソロ活動に入ったクラプトンとベックは、見事に!その期待を裏切ったわけですね〜(笑)。

てなわけで、マッチョな野郎ばかりのスーパーバンドで、多くのファンはクリーム時代ばりのソロを弾くクラプトンを期待していたのに、実際には女性コーラスを入れ、なんだか呑気なレゲエを歌うクラプトン。

しかも!スタジオ録音の「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」には、期待の!長いギターソロが全く入ってない(笑)。

ところがロックキッズやギターキッズの複雑な胸中とは裏腹に、シングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」も、アルバム「461オーシャンブールバード」も世界的に大売れ!!

クラプトンがロック界、ギターキッズ達のカリスマから、一般オーディエンスに広く知られるようになった、とっかかりがこのシングルでありアルバムだったと言えるわけです。

で、、、

♪あーいしょっとざしぇりーふ と「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」の冒頭からハモってる女性は、東洋系のイボンヌ・エリマン。

ハワイ生まれで日系人のママをもつそうで、クラプトンもかなり気に言っていたのか?数年間、彼女をレコーディング&ツアーメンバーに起用し続けております。

又、イボンヌ・エリマンも、クラプトンのサポートの仕事をしながらもソロ活動を続け、、、

1977年にはビージーズがディスコブームを世界中で巻き起こした、映画「サタディナイト・フィーバー」のサウンドトラックの中で、ビージーズが楽曲を提供した「アイ・キャント・ハヴ・ユー」を歌い、、、

この曲は1978年、見事に全米シングルチャート1位を獲得してます。

 

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