噂の!若き日のカリスマギタリスト、エリック・クラプトン人気でニューロックファン達には熱い注目を浴びていたクリーム。
日本で初めて、そのクリームの映像&音源が登場したのは1972年5月。NHKのヤングミュージックショーでした。
今のようなインターネットの時代を過ごしてる若い方には、想像しずらいと思いますが、当時はまだMTVもなく、、、
大手マスメディアも当時は、殆どロックを取り上げる事はなかったので(R&B、ソウル、ファンクしかり)動く洋楽のロックスターを、若者達が普通に眼にする事はできなかった。
とはいえ、1972年5月と言えば、既にクリームは解散してから約2年半もたっており、、、
クラプトンもクリーム以降ブラインド・フェイスとデレクアンドドミノスの2つのバンドを早々に潰し、ドラッグとセックスの引きこもり生活をしていた時期。
クリームはジミ・ヘンドリックスと共に来日してませんし、実際にクリームの現役時代の1966~68年の日本は、空前のグループサウンズブームでした。
で、TVではこちらもアメリカより約1年遅れでザ・モンキーズショーが大人気。
なので、クリームやジミ・ヘンドリックスというのは、後世で思われてるほど、当時の日本での認知度は高くなく、かなりマニアックなプレイヤーサイドの世界で登場する名前でした。
まあ、かなり日本人の琴線に触れるメロハモの「ホワイトルーム」がそれなりに売れたので、クリームの名前は、洋楽ヒットチャート好きには知られましたが。
が、、、
エリック・クラプトンの後半のワウワウのソロギターは、思いっきりカットされてたこのシングルレコードを当時もっていた洋楽ファンは、曲が好きだっただけで、特にクラプトンのギター奏法に興味があったわけではなかったと言えます。
興味のあったニューロックファン達は、当時2枚組のアルバム「クリームの素晴らしき世界」を日本では1枚ずつばら売りしていた、ライブヴァージョンの「クロスロード」に、だいたい衝撃を受けるわけです(若きチャー=竹中尚人氏もその一人だったそうですが)。
古のブルースメンバー、クロスロードとアイムソーグラッドは、クリームが有名にした曲!
更に、クリーム解散後に発表されたアルバム「グッバイ・クリーム」。
このアルバムのA面1曲目の「アイム・ソー・グラッド」が、また事件で!、、、
9分強にも及ぶ、歌が終ると「せーの」でおっぱじまるクラプトンとジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーの三つ巴のソロバトルのライブヴァージョン。
正に当時の感覚では、「なんじゃー!こりゃー!」だったわけです。
既にクリームは解散してるのに、日に日に主にプレイヤーサイドから、クラプトンの超絶ギターソロの話しは波及し、それを語らずしてロックファンに非ずみたいな風潮が広まり(当時のロックキッズ=ギターファンが殆どだったから)、、、
更に!商魂逞しいレコード会社はその後、クリームのライブアルバムを発表。
ヤングミュージックショー放映の頃には2枚目のライブアルバムも発表され、こちらはクリームの2大ヒット曲の「ホワイトルーム」「サンシャイン・ラブ」も収録されている事もあり、かなり売れたんじゃないかしらね?
クリーム時代のエリック・クラプトンは欧米に限らず、1970年前後のコアな日本のニューロックファンの間で、カリスマ的な人気を誇るようになるわけです。
が、、、
でも、、、
クリームはもう、とっくに解散しており、エリック・クラプトンは既にその後のブラインド・フェイス、デレク&ドミノスともに短命に終らせ、酒とドラッグとセックスの引きこもり生活に入っていた。
酒とドラックとセックスの引きこもり生活のエリック・クラプトンは、フーのピート・タウンゼントの働きかけもあり、1973年に復活コンサートを開いたわけで、、、
この時の演奏メンバーにブラインド・フェイスのリック・グレッチとスティーヴ・ウィンウッドが参加していたので、ブラインド・フェイスの中で唯一!ドラムのジンジャー・ベイカーだけ声がかかってない。
なので、ブラインド・フェイスの解散は、ジンジャー・ベイカーに何等かの問題があったのではないか?と、音楽ファンの間では囁かれたわけです、
が、、、
情報の少なかった当時と違い、今やインターネットの時代!
ブラインド・フェイス解散後、ジンジャー・ベイカーが作ったエア・フォースの映像&音源がYouTubeで今は観れます。
エア・フォースには逆にリック・グレッチとスティーヴ・ウィンウッドが参加していて、エリック・クラプトンだけ参加してないのがわかります。ですから確執があったとしたら、エリックとジンジャー。
更に、デレク&ドミノスも、クラプトンとドラムのジム・ゴードンの確執が原因で解散してます。
ですから、当時やたらと美化されまくってた(笑)、必ずしもエリック・クラプトンが「傷つきやすいナイーブな青年」(如何にも70年代初頭らしい、マヌケな表現だ。笑)なんかじゃなかったのは、今の情報豊富な時代、多くのロックファンならご承知の筈。
で、そんな「傷つきやすいナイーブな青年」と思われてたエリック・クラプトンのこの復活ライブは、ライブアルバムとしてレコード発表されました。
今はCD化され曲数も増えておりますが、レコード発売時はCDと違い「いとしのレイラ」も「クロスロード」も入っておらず、、、
なんとなーく、選曲が地味な印象を受けたわけです。
同時期だったクリーム解散ライブのテレビ映像とソロになったレコードの大ギャップに、ギター弾きは皆戸惑った!
更にそのギター演奏は、クリーム時代のような強烈な!鮮烈な!ギターソロとはけっして言えない、「噂のカリスマギタリスト!エリック・クラプトン」にしては、もの足りないものでした。
が、繰り返しますが当時は何でもエリック・クラプトンは美化されていたので(ジョン・レノンもそうだったなー)、それでもそれは酒とドラッグとセックスの引きこもりの日々が長く続いたのが原因。
だから不調でもしょうがない、、、。
いや、むしろこれだけギターが弾け歌えるようになったクラプトン復活を、ファンは喜ばなければいけないという妙なファン心理が働き(笑)、このライブアルバムもそれなりにロックファンの間では当時、売れました。
というか、今にして思うとこの選曲(レコードではなくCD化されてからの)、その後のながーいソロ活動の、エリック・クラプトンの原型ですね。
でも原型ですが、当時のロックキッズやギターキッズは、NHKのヤングミュージックショーで観たクリームのエリック・クラプトン、解散後に出されたクリームの2枚のライブアルバム、、、
解散時にだされたアルバム「グッバイクリーム」での「アイムソーグラッド」の、強烈で!鮮烈な!ギターソロを弾く「カリスマ・スーパーギタリスト!エリック・クラプトン」を当時は未だ期待していたので、、、
その後のクラプトンのソロ活動の原型になったこの復活ライブは、まあ、ゲスト参加したミュージッシャン達が豪勢だった事もあり、ある種「顔見せ興行」的な捉え方をされていました。
まぁ〜復活したばかりだからね〜、でも、そのうちきっと!クラプトンは又!クリームの頃のような、凄い鋭いギターソロを聴かせてくれるさ!
と、ファンというのは有り難いもので、勝手にクラプトンにそういう期待を抱いていたわけです。
ソロ活動に入ったエリック・クラプトンは、ギター弾き以外のファンが増え、大ブレイクした!
が、結局、今の今迄それは叶わぬ夢で(笑)、決定的なクラプトンの分岐点は、復活ライブ後の久々のオリジナルアルバム「461オーシャンブールバード」。
このアルバムは欧米でも売れに売れ、シングルカットされた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は、何と!自身初の全米チャート1位を獲得!
クラプトンのこの曲のカバーによって、世界中にレゲエ、そして御本家のボブ・マーリーの名前は広まったわけで、クラプトンこそがある種のレゲエの伝道師だったわけです。
が、まあ、クラプトンはレコーディングに入る迄、ボブ・マーリーも「アイ・ショット・ザ・シェリフ」も知らなかったそうですから、自分でもこの曲がバカ売れしたのは驚いたでしょう(笑)。
でも、、、
当時の日本のクラプトンファンは、やはりこの「長いギターソロがない」「アイ・ショット・ザ・シェリフ」やアルバム「461オーシャンブールバード」は複雑でしたね。
良い曲だし良いアルバムだけに。
噂のあの!カリスマギタリスト!エリック・クラプトンは、どこにいっちまったんだ? これが当時のロックキッズ、ギターキッズの率直な感想だったと思います。
みんな、後から色々と前言撤回の事を言うのは、今も昔もなんでもそうですけど(笑)。
だからジェフ・ベックと違いクラプトンは、年とともに有名無名問わず世界のギタリスト達から、ギタリストとしての評価は下がりっぱなし。
が、一方、年とともにその「弾き語りおじさん(今は爺さんだけど)」スタイルは、類希なるルックスとセンスの良さも幸いしてでしょう、一般のオーディエンスは高く支持し評価。
こうしてエリック・クラプトンだけが!、当時の所謂スーパーギタリストの中で、別にロックファンでもなくてもギターファンでなくても、誰もが!知ってる有名人になったわけであります。