矢沢永吉氏の「トラべリン・バス」「黒く塗りつぶせ」は知ってても、作詞の西岡恭蔵氏を知らない方は是非!

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西岡恭蔵氏は50才の若さで、1999年最愛の奥様の3回忌前日に首をつって自殺。

K-UNITバンマスが西岡恭蔵氏を初めて知ったのは、1970年代初頭の「プカプカ」。

レコードを買ったわけではないけど、「プカプカ」は、なんか子供心に印象に残る曲でした。

決定的だったのが1973年テレビドラマ「太陽にほえろ!」の「新宿に朝は来るけれど」の巻。

 

一般的には無名時代の、22才の桃井かおりさん↓が、新宿のヒッピーというかフーテンというか、そんな役で出ていた時、こちらの「プカプカ」が使われていて、、、

とても桃井かおりさんの退廃的な雰囲気に曲があっていて、脳味噌にこびりつきました。

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タイトルも「新宿」ということもあり、例によって当時の「太陽にほえろ!」は、西新宿の中央公園、歌舞伎町、花園神社と、当時のあの界隈のロケ満載。

ですので、老いも若くも新宿に興味のある人は、「新宿に朝は来るけれど」はちょいと必見かもね。

矢沢永吉氏のソロセカンドアルバム、「ア・デイ」のジャケットも西新宿の超高層んとこだし(笑)。 


まあ、当サイトでも繰り返してますが1970年代初頭から中期は、空前の和製ふぉーくブームの時代。

ゆえに、そんなに興味がなくとも回りや若者向けのマスメディア(深夜放送含め)が、やたらと「ふぉーくの人達」を取り上げる。。

 

なので、この当時の「ふぉーくの人達」なら、だいたい「和製ふぉーく」に興味のなかったボクでも、名前と代表曲ぐらいは言えたんです。

で、一方興味のあったキャロル(笑)。

キャロルが解散して矢沢永吉氏がソロになり、アルバム「アイラブユーOK」をだした時、自らが作詞をした曲は0。

複数の作詞者の中に西岡恭蔵氏の名前があり、3曲もアルバムに彼の作詞ナンバーが入っていて、キャロルの作詞を担当していたのは、主にジョニー大倉氏。

だから、矢沢永吉氏は本当に作詞に興味がなかったんだなー、得意とはしてないんだなーと、ボクは思ったものでした。

まあ、キャロル時代、作詞を担当していたジョニー大倉氏と矢沢永吉氏の確執はあまりにも有名ですが、本当に矢沢永吉氏がアンチの人が言うような銭ゲバだったら、ソロになったら作詞も自分でやるでしょう。

作詞作曲の印税が自分に入るんですし、キャロル時代にも何曲かは作詞もしてますから。

でも、矢沢永吉氏はそれをしなかった。

矢沢永吉氏は、客観的に「矢沢永吉」というブランドを評価できる経営者です。

自分が作詞するよりも、他の作詞家にお願いした方が自らが作曲した曲は光る、「矢沢永吉」ブランドは売れ、ブランド力もあがると、経営者として思ったのでしょうね。

矢沢永吉氏のセカンドアルバム「ア・ディ」のA面一曲目は、西岡恭蔵氏作詞の「気ままなロックンローラー」ではじまります。

アルバムタイトルナンバーの作詞はじめ、今も矢沢永吉氏ファンには絶大なる人気を誇る「トラベリン・バス」↑もこのアルバムには収録されてます。

矢沢永吉氏が西岡恭蔵氏を作詞者の一人に起用したのは、このアルバムの成功で大成果をあげてます(「アイラブユーOK」でも、良い仕事してますが)。

その後の、こちらも矢沢永吉氏ファンには人気の高い「黒く塗りつぶせ」も西岡恭蔵氏作詞。

ですから、下衆の勘ぐりにて恐縮ですが、自作含め矢沢永吉氏の楽曲の印税もかなり西岡恭蔵氏には入ってたと思います。

 

そもそも「西岡恭蔵」ブランドでも、根強い和製ふぉーくファンはライブに来てくれましたから、、、

なので、やはり自殺は経済的な問題ではなく、最愛の奥様が乳がんで亡くなられたショックだったのでしょう。

最後に、、、

↓こちらは「プカプカ」のモデルと伝わる、ジョージ川口とビッグ4、鈴木勲トリオなどを経てフリーに。古の女性ジャズシンガー安田南さんの歌唱。素晴らしい!!