新宿から原宿に移り大成功したピンクドラゴンの故山崎眞行氏と、クロコダイルの想い出

 

山崎眞行氏が原宿で犬の散歩の途中、突然倒れて帰らぬ人になったとニュースが飛びこんできたのが2013年春でした。 

で、以前テレビ番組で「新宿に見切りをつけ」と述べられてましたが、確かに山崎氏が作った日本のオールディーズ、50'sシーンの金字塔!「怪人20面相」は新宿伊勢丹横から撤退。

山崎氏は原宿に拠点を移して「キングコング」「シンガポールナイト」「クリームソーダ」等と、たて続けにお店を成功させましたが、、、

その後、今のバルト9の裏の新宿御苑門の前に「クリームソーダ」新宿店をオープンさせてたの、案外、新宿者以外、知ってる人少ない。

まあ、あのへんは新宿の繁華街とも違うし、今はゲイタウンとして栄えてる二丁目とも違い目立たない。

そこに行こうという目的のある人か?あの界隈の住人か?その界隈で働いてる人しかうろつかないから、知られてないのも当然と言えば当然。

更に「クリームソーダ」新宿店、流行らなかったのか?わりと早くに撤退したし。

だから原宿進出して更なる成功を収めたからと言って、必ずしも山崎氏は新宿を完全に見切っていたわけではなかったわけです。

北海道の炭坑の町から上京、ありがちですがウエイターや洋品店でバイトをして、当時は相当!偉かった!「三峰」に就職してすぐにやめ、22,3才の若さで日本初の!オールディーズ、50'sバー「怪人20面相」を「発明して」開業。

なので、このへんの新宿で最初の成功を収めた山崎氏の「新宿」に対する思い、胸中というのは、どうだったんでしょうか?

日本で初めて!オールディーズバーを発明した山崎眞行氏

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原宿に進出し大成功を収めた、山崎氏の自宅兼仕事場の「ピンクドラゴン」↑のビル。

宮下公園前、明治通り沿いの「クロコダイル」から、一本奥まった所謂「キャットストリート」(その昔は猫がうろうろ歩いてるだけの寂しい通りだったから、山崎氏等が命名したらしい)に今もあります。

(戦後のどさくさじゃあるまいし、一代で、それも若くしてこんなビルたてるなんてすげーよなー)と、あの界隈をうろついて「ピンクドラゴン」のビルをみる度、感心します。

矢沢永吉氏じゃないですが、何時の時代でも「やる奴はやる。やらない奴はやらない」は当たってますね。

で、わりと勘違いしてる初老中高年によく出会いますが、ケントスは素晴らしい店ですが、ケントスが六本木に最初の店をオープンさせたのは1976年。

山崎氏の「怪人20面相」が新宿伊勢丹横にオープンしたのは1968年です。

原宿の「キングコング」や「シンガポールナイト」がオープンしたのも、ケントス1 号店よりもっと前。

なのでケントスの功績も素晴らしいですし、今も各地のケントスは何処も素敵なお店ですが、山崎氏こそが日本のオールディーズ、50'sバーを発明した人なのは、間違いない歴史です。

だから、ここんとこ、絶対!間違えちゃ駄目です。こういう「最初に種をまいた人」にボクはこだわるので(笑)。

新宿「怪人20面相」もよく行きましたし、原宿の「キングコング」も「シンガポールナイト」も行ったけど、「クリームソーダ」ができて流行だした頃は、もうボクも成人前後だったから、、、

フォーレができた1978年頃から、だんだん原宿もいかなくなった。

小僧には敷居の高かった「オー!ゴッド」と「クロコダイル」 

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「ピンクドラゴン」同様、今も健在!「クロコダイル」↑も、創業から40周年こえてるんじゃないのかな?敷居高かったね〜!「クロコダイル」と当時の系列店だった「オー!ゴッド」は。

山崎氏には申し訳ないですが、同じ原宿でも「キングコング」と「シンガポールナイト」は、敷居低かった(笑)。

まあ〜「怪人20面相」体験があったからでしょう、、、。

当時、中学の同級生が車買ったばかりで(マツダの赤いコスモ)得意になって花園町(今の新宿一丁目)流してたの発見したので、タクシー代わりに原宿まで乗せてってもらって(笑)。

「このへんでいいよ」と、表参道と明治通りの交差点あたりで止めてもらおうとしたら、こいつ、、、小沢っていうんですが(笑)、、、

今は、生意気に不動産屋でぶいぶい言わせてる強面らしいけど、「嫌だよ!ぶっとばされそうだから」と、青い顔してぶるっちゃって、停止拒否しやがって(笑)。

あのへんはもう既にローラーも沢山いたし、未だ暴走族も沢山いたから、まあ、リーゼントばっかり(笑)。ボクもそうだったけど、、、↓

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小沢のこの「びびりよう」みて、 自分は「普通のコ」たちとは、やっぱり違った道を、ずーっと歩いてたんだなーと痛感したものでした。

普段は、小沢みたいな奴と、接点て全くなかったし(今もないけど)。

だから「キングコング」や「シンガポールナイト」や「クリームソーダ」のリーゼントの店員や客あたりでも、「普通のコ」は怖くて敷居が高かったのでしょう。

唯、ボクはその環境と空気に慣れてたから平気だったんだな〜と、ハンドル握って泣き出しそうなぐらいびびって青い顔してた当時の小沢を思い出すと、そう思います(笑)。

でも!「クロコダイル」と「オー!ゴッド」は敷居高かったですね〜。もう少し年齢層が上だったし店内も洒落てたからね〜(当時では群を抜いてた)

結局、若い頃は「クロコダイル」は行けなかった。「オー!ゴッド」でも場違いな感じだったから。

だから、最初は竹田和夫御大のライブ後のセッションに呼んでいただいて、その後前座で使っていただき、40越えてから!ボクは「クロコダイル」デビューしたわけです。

なので、10代後半、二十歳前後の蒼き自分と、当時!極めて!敷居の高かった「クロコダイル」、そして系列店だった「オー!ゴット」の事を思うと、非常に感慨深いものがあります。

まあ、たかが原宿、されど原宿って事で、、、。