Char=竹中尚人氏の売れなかった公式レコードデビューから、売れたアイドル時代の葛藤

インターネットの時代だなんだ言われて、久しいですが、今でも視聴率1%=100万人、TVの威力はネットとは比べものにならないほど大きいわけです。

が、、、

ボク等が蒼きティーンエイジャー&青年の頃のTVの影響力の凄さったら、今の比ではない、それはそれは絶大なものでした。

まあ、TVに出てない人は俳優でも歌手でもミュージッシャンでもないってなぐらい(今も潜在的には、こう思ってる特に年配の方やお年寄りは多いけど)、TVは異常に!偉かった。

というわけで、チャー=竹中尚人氏のデビューシングルは、1976年6月の「ネイビーブルー」。

作詞はチャー氏がレコーディング参加した経緯なのでしょう、ボク等世代の和製ふぉーくファンならご存知のニューサディスティックピンク=NSPの天野滋氏、作曲はチャー氏の作品でした。

B面は作詞作曲チャー氏の、ファンにはお馴染み!英語詞ナンバー「シャイニングユー シャイニングディ」。

で、2曲ともチャー氏の、同年9月に発表されたソロアルバム第一弾に収録されており、このアルバム、当時としてはかなり珍しかった、日本語詞と英語詞の楽曲が混在してるアルバムでした。

チャー=竹中尚人氏は、セカンドシングル発売まで1年かかってる! 

が、、、

まあ〜、昨今のライブハウスレベルでの、演奏力もあり集客力もあり知名度も高いシンガー、ミュージッシャンと同じで 、チャー氏は世間一般には全く受け入れられず、シングルもアルバムも売れなかったんです。

で、次の「気絶するほど悩ましい」が発表されるのが1977年6月。

最初のシングルから1年、最初のアルバムから9ヶ月もたっての事で、この9ヶ月間、若きチャー氏は何を思ったのか?とても興味深いですねー。

少なくとも「ネイビーブルー」の作詞に当時は未だ未だ空前の和製ふぉーくブームの残り香が漂ってた時代ですから、和製ふぉーくファンには人気のあったNSPの天野滋氏を起用したのは、チャー氏が戦略的に「売ろう」としてた証明と思うわけです。

けっしてそれ以前の、全曲英語詞のアルバムを発表し、日本の歌謡芸能シーンに背を向け世界進出を狙った、フラワートラベリンバンドやクリエイションとは、チャー氏は最初から違っていました。

勿論!名作「スモーキー」や「シャイニングユー シャイニングディ」のような英語詞の名曲もあり、チャー氏はデビュー当事から歌謡芸能の世界向けの戦略と、当時はコアだったロックファン向けの戦略の両方を兼ね備えてたミュージッシャンで、これは現在まで一貫して同じです。

でも「ネイビーブルー」は売れなかった。シングルが売れないからアルバムも売れない。

当時のチャー氏のファンは、それこそ今のインディーズデビューのバンドぐらいの数しか、ボクはいなかったと記憶してます(当時の日本のロックバンドは、ほぼ皆そうだったけど)。

「気絶するほど悩ましい」で、人気が爆発したChar=竹中尚人氏



で、、、

シングル第二弾の「気絶するほど悩ましい」は作詞にも作曲にも、しいてはシングル盤はレコーディングにすらギターで参加してなかったチャー氏、本当に当時、何を思ってたのでしょうねー。

まあ、歌謡芸能の世界で売れるには、郷に入れば郷に従え、歌謡芸能の世界のやり方でと思ったのでしょうか?

更に当事のチャー氏、TV向けのルックスの良いメンバーを選んだバンドを率いており、「気絶するほど悩ましい」は見事にヒット。

TV向けのメンバーとは異なるミュージッシャン達とレコーディグしたセカンドアルバムも、見事に売れ!、チャー氏は一躍、歌謡芸能の世界のアイドルギタリストになるのが1977年の後半でした。

続くシングル第三弾「逆光線」も第四弾「闘牛士」も、「気絶するほど悩ましい」ほどヒットはしなかったですが、作詞は引き続き阿久悠氏なれど作曲はチャー氏自らが行っています。

サードアルバムではゴダイゴとのレコーディングも行い、1978年はチャー氏の歌謡芸能の世界での人気がピークを迎えた年でした。

ジョニールイス&チャーが歌謡番組で売れてたら、日本のロックの歴史は変わってたと思うな〜

で、惜しまれるのが同年、ゴダイゴミッキー吉野氏経由なのでしょうか?、吉野氏と同じ元ゴールデンカップスのルイズルイス加部氏と、元イエローのジョニー吉長氏と結成したジョニールイス&チャー。

ある事件の嫌疑で、歌謡芸能の世界で活躍していたチャー氏はマスメディアから袋だたきにあい、既に収録されTV放映予定だったジョニールイス&チャーのデビューコンサートも、ツアーも中止になってしまった事。 

もし!あのまま!、、、

ジョニールイス&チャーが、チャー氏の歌謡芸能人気を背負ったままデビューしていたら、お三方ともルックスは抜群。既にルイズルイス加部氏は、ゴールデンカップスでその人ありの人気者でしたから、知名度も抜群。

更にサウンドはロックでしたから、日本の音楽の歴史は変わってただろうなーと、未だにボクは思いますねー。

結局、ジョニールイス&チャーのデビューは1年遅れ、歌謡芸能好きの女の子達は移り気。もはやTVにでないチャー氏の存在は遠い過去のものになっていました。

が、逆にチャー氏のアイドル的活動を心良く思ってなかった、当時のコアなロックキッズ、ギターキッズ達が、アイドルを辞めたチャー氏のジョニールイス&チャーに大注目!

そしてTVでギターをもって歌うチャー氏をみて、ギターと音楽に目覚めた若い男達もジョニールイス&チャーを拍手で迎え、以降、ジョニールイス&チャーは、当時のマイノリティだった「ロック側」に、活動拠点が移行するんですねー。

まあ、それは商業的にはパイが小さくなってしまったとはいえ、音楽的には結果オーライで良かったとも思います。

が、残念ながらボクと同世代の女性達と、若き日の想い出話しをしていて、ジョニールイス&チャーがでる事は殆ど無いです。

アイドル時代のチャー氏は誰もが知っていても、、、。