アガサ・クリスティ原作「地中海殺人事件」(1982年)。名探偵ポワロものに出演してたダイアナ・リグとジェーン・バーキン!熟女二人の素敵さ!

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1970年代後半から80年代初頭にかけ、アガサ・クリスティ原作、名探偵ポワロもの映画が、ちょいと世界でも日本でも人気になり、何作か作られヒットしましたが、こちらは1982年の「地中海殺人事件」。

地中海の美しい小島、リゾートホテルに集まった人たちの「悪い噂」は、人目もはばからず女房持ちのパトリックとイチャイチャしてる、色っぽい助平そうな「おばちゃん女優」役のアリーナ↓。

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まぁ、アリーナ、殺されちゃうんですけど、、、

このリゾートホテルに集まった人々が、別件の調査でたまたま訪れていた名探偵ポワロ以外、多かれ少なかれ殺害されたアリーナと、何等かの関わりがあり、しかも皆アリーナ殺害時間には、アリバイがある。

てな、流石!アガサ・クリスティの秀逸な!物語。

さて「灰色の脳細胞」名探偵ポワロ、どうやってこの中に必ずいる犯人のアリバイを崩していくか?

サスペンス&ミステリー好きのボクは、とても好きな映画。

007シリーズ唯一!、ジェームズ・ボンドと結婚する女性を演じたダイアナ・リグ

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で、、、

アリーナを演じたダイアナ・リグは、20代の頃ショーン・コネリーが一度は降りた(一作品だけ復帰します)007=ジェームズ・ボンドの2代目、ジョージ・レーゼンビーの「女王陛下の007」のヒロイン。

すなわちダイアナ・リグはボンドガールで、リアルタイム当時は注目された女優さんでした↑。

で、「女王陛下の007」では、あの!助平の国から助平を広めにきたような、女と見ればすぐやっちゃう007=ジェームズ・ボンドが、なんと!結婚しちゃう、、、。

そのボンドの結婚相手役が、ダイアナ・リグ↓。これは当時!事件でした(笑)。 

で、結果的にはこの新婚夫婦、悲劇的なラストを迎えてしまう、けっこう映画007=ジェームズ・ボンドシリーズでは、「女王陛下の007」は異質な物語。

なのですが、如何せん2代目007=ジェームズ・ボンドを演じたジョージ・レーゼンビー。それまでのショーン・コネリーが、ものすごい人気だったうえ惜しまれてたので、リアルタイム時、評判が悪くてね〜。

結局、すったもんだがあって、ショーン・コネリーがもう一度007=ジェームズ・ボンド役をやる事になって(「007 ダイヤモンドは永遠に」)、その後は三代目としてロジャー・ムーアが定着。

なので、ジョージ・レーゼンビーの007はこの1作だけで終わってしまったので、日本では007マニアぐらいしか、ボンドの花嫁さんを演じたダイアナ・リグ、知ってる人いなかったので、それから13年!!

1982年の「地中海殺人事件」に、ダイアナ・リグが出演した時は、ボクは嬉しかったものでした。

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「ジュテーム」でお馴染みだった!ジェーン・バーキン

で、もう一人、アリーナと自分の亭主が人目もはばからずイチャイチャしていても、耐えに耐えてた、最初は地味〜で、子供好きなか弱い奥様を演じたのがジェーン・バーキン

でも実は!彼女はそんな女じゃなかったってな、ボクの大好きな!パターンのオチで、華やかに登場してきたのが、こちら↓↑。 

颯爽として実に!美しいですねー。
 
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ジェーン・バーキンはその前のアガサ・クリスティ名探偵ポワロ映画「ナイル殺人事件」にも登場してましたが、断然!こちら「地中海殺人事件」の方が良いですね〜。

というわけで、当時のアガサ・クリスティ作品、名探偵ポワロものの映画は、わりとオールスターキャストで、風景の映像もとても美しく衣装も洒落てるし、なんと言っても女優が美女揃い。

なので、一度観ればオチもわかってるのですが、チャンスがあると美女と風景も楽しいので、ボクは何度でもポワロ映画は観ちゃいます♪

そして時が流れ、ポワロはイギリスが生んだ世界的に有名な名探偵ですから、1989年から2013年にかけイギリスでシリーズ化され「名探偵ポワロ」としてテレビ放映(日本はNHKで1990年より)。

「地中海殺人事件」は、日本では2002年の1月1日元旦に、原題の「白昼の悪魔」として放映。ネット上で今も「名探偵ポワロ」は人気シリーズになっていますので、「白昼の悪魔」として観ることができます。

まぁ〜「地中海殺人事件」も「白昼の悪魔」も日本でつけられた邦題で、映画もドラマも小説も英語タイトルは「Evil under the Sun」。太陽の下の悪とでも訳すのかな?

ちなみに同じ「Evil under the Sun」でも映画「地中海殺人事件」とテレビドラマ「白昼の悪魔」は、犯人は同じでも若干内容が異なりますので、観比べて見るのも、ファンは楽しいですね♪
 

1969年 ジョン・レノンのぶっ飛んだ1年を今更ながら振り返ってみる、、、

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1969年

・1月 ザ・ビートルズ ルーフトップ・コンサート。

 

・2月 ザ・ビートルズ「アビィ・ロード」レコードング開始。

 

・3月 ジョンと洋子、新婚旅行先のオランダ・アムステルダムでベッドイン。

 

・3月 ジョンと洋子、音楽のない「ウェディング・アルバム」を録音。

 

・4月 ザ・ビートルズ名義で、シングル「ジョンとヨーコのバラード」レコーディング。

B、Dr、P ポール・マッカートニーの多重録音の、二人だけのレコーディング。

 

・5月 ジョンと洋子、カナダ・トロントで二度目のベッドイン。

 

・6月 プラスチック・オノ・バンド「平和を我等に」レコーディング。

 

・7月 ザ・ビートルズ 「カム・トゥゲザー」レコーディング。後にアルバム「アビィ・ロード」のA面1曲目、シングルとして発表。

 

・8月 「アビィ・ロード」レコーディング終了。

 

・9月 カナダ・トロント プラスチック・オノ・バンド R&Rリバイバルコンサート。

G:エリック・クラプトン、B:クラウス・フォアマン、Dr:アラン・ホワイト

 

・9月 プラスチック・オノ・バンド 「コールド・ターキー」レコーディング。

G:エリック・クラプトン、B:クラウス・フォアマン、Dr:リンゴ・スター

 

・11月 イギリスのナイジェリアへの干渉に抗議。MBE勲章を返却。

 

・11月 9月から流れていたポール・マッカートニー死亡説を、「ライフ」誌がポール本人のインタビュー掲載で否定。

 

・12月 プラスチック・オノ・バンド ピース・フォー・クリスマスコンサート。

エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトの他、ジョージ・ハリスンジム・ゴードンビリー・プレストン、ニッキー・ホプキンス、キース・ムーン、デラニー&ボニー等が参加。

 

 

1967年度版の「007 カジノ・ロワイヤル」に出演していた、バーバラ・ブーシェとジョアンナ・ペティットは素敵だったなー♪

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2006年に公開された「007 カジノ・ロワイヤル」ですが、1967年に同名で製作上映されており、当時はショーン・コネリージェームズ・ボンドがバカ受けしていた時代。

なので、こちらの完全な007のパロディ映画は、かーなり異端扱いされ嘲笑されていたと、K-UNITバンマス、子供心に記憶しております。

まあ、というわけで2006年の 「007 カジノ・ロワイヤル」とは同名なれど、全く別ものなわけで、、、

それには色々とながーい話しがあるわけですが、そのへんはwikipediaに任せるとして(笑)、1967年版にでていた女優さん二人がボクは好きなので、ご紹介いたします。

一人はドイツ系アメリカ人のバーバラ・ブーシェ

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バーバラ・ブーシェ



スレンダーなべっぴんさんです。

が、この方、レオナルド・ディカプリオキャメロン・ディアスの2002年公開の「ギャング・オブ・ニューヨーク」に出ており、未だ役者をやってたのかーと思ったほど、他の作品でボクはあれ以来観た事がなかった方です。
 
が、YouTubeで探すと、けっこうアップされてますね。
 

 で、もう一人がこちら、イギリス人女優のジョアンナ・ペティット↓。

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Joanna Pettet

 
この方、1960年代後半しか映画出演はないようなので日本では馴染みが薄いですが、なかなか素敵な女性だと思いまする。 

エルヴィス・プレスリー、スティーヴ・マックイーン、ジャック・ニコルソン等と競演していたアン・マーグレットの美しさ!

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わりと子供の頃から糞爺予備軍になった今の今迄、ずーっと!アン・マーグレットが好きなんです。

が、どうもこの方、ボク等世代から少し上の、普通に日本人なら誰もが知ってるような映画に出演してないので「オレ、アン・マーグレット好きなんだよ」と言っても、反応が鈍くて寂しい思いをし続けてるK-UNITバンマス(笑)。

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美人ですよ〜!ほんと、、、美しい!!

まあ、エルビス・プレスリーファンの人なら「ラスベガス万才」。

スティーヴ・マックイーンファンなら「シンシナティ・キッド」。

1970年前後の映画ファンなら「C・C・ライダー」「愛の狩人」。

ロック映画ファンなら「トミー」でお馴染みの女優なんですが、これ!って日本人なら誰もが知ってる、聞いた事がある主演作品がないんですよね。

アカデミー賞にもノミネートされてるし、ゴールデングローブ賞は獲得してるんですけど、、、。 

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で、これだけ!派手なお顔とボディのわりに、彼女はハリウッドでは珍しく離婚歴がありません。
 
日本でも大人気だった古のテレビドラマ「サンセット77」のジェフ・スペンサー役のロジャー・スミスと若い頃に結婚、2017年に彼が84歳で他界されるまで、添い遂げています。

映画「アメリカン・グラフィティ」で描かれた、1962年設定の踊る若者達と衣装と髪型とオールディーズサウンドの衝撃!

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今の若い人、いやアメリカンオールディーズ、フィフティーズというジャンルが当たり前になってから思春期を迎えてる筈の30代、40代の方には、どーってことない映像&音源だと思いますが、、、

無名のジョージ・ルーカスが発表した映画「アメリカン・グラフィティ」の1973年は、日本では空前の和製ふぉーくブームの最中(商業的頂点は1975年と思いますが)。

当時は無名監督で、出演者も皆無名俳優だったので、日本での公開はアメリカでの大ヒットを確認してからだったので大幅に遅れ、1974年末。

実際に当時のコアな若者達にウケたのは、1975年になってからと、アメリカとは約2年のタイムラグがありました。



でも、、、

アメリカもイギリスもそうだったと思いますが、ニューロックの若者達も皆、長髪にGパンを引きずり、もう少しコアになると髭をはやしたりしてたわけで、、、

校則も未だ未だ厳しく、タチの悪い「日教組」教師達が幅をきかせていた時代。

学生は早く大人になって校則に縛られず髪を自由に伸ばしたいなんて、ごく!普通に思ってた時代。

1962年の1日を描いたこの映画に写ってる若者達の髪型、衣装、乗ってる車、使われてる音楽同様、、、

特に!こちら学校でのダンスパーティ風景の描写で、「アット・ザ・ホップ」を歌い演奏してるフラッシュ・キャデラックとコンチネンタル・ キッズ(Flash Cadillac & The Continental Kids)の短髪の髪型。

髭もないこざっぱりした顔、赤いジャケットの衣装は、当時の若者達には既に『絶滅したアメリカ人』のソレだったんですね(笑)。

その絶滅した、今風に言えば「オワコン」のR&Rサウンド、50's衣装と髪型、そしてダンスを、あの時代に映画で蘇らせ、それを観せて聴かせた、監督のジョージ・ルーカスは、本当に偉かったですねー。

だから、このシーンはこの後の日本の音楽、風俗の歴史を変えたと信じております(結成前のクールスやシャネルズも、時代的に観てる筈ですから)。

 

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イボンヌ・エリマンは、エリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」のバックコーラスと、自身の「アイ・キャント・ハヴ・ユー」で全米1位を獲得した!

 

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まあ、リアルタイム当時はインターネットもなければ、未だMTVもない時代だったので、この映像を観た日本人は殆どいないわけです。

が、エリック・クラプトンの自身初の全米チャート1位を獲得した「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」(I Shot the Sheriff)。

1974年に発表されたアルバム「461 オーシャン・ブールバード」収録(アルバムも全米1位)の、ボブ・マーリーのカヴァー曲ですが、未だ当時の日本ではレゲエという音楽は馴染みがなく、色々な事を後から言う人がおります。

が、クラプトンがこの曲をカヴァーヒットさせた事で、レゲエもボブ・マーリーも日本では一般的に知られるようになったというのが、本当のところ。

エリック・クラプトンにもベックにも、スーパーバンドでの1リードギタリストを、当時のロックファンは期待していた!

で、当時は賛否両論あった、バックコーラスに女性を従えてのエリック・クラプトンのこのスタイル。

今ではごく普通、当たり前の構成なわけですが、当時は未だ4、5人の男ばかりのマッチョなロックバンドを、クラプトンに限らず、誰にでもロックファンはのぞんでいました。

例えばレッド・ツエッペリンやディープ・パープル。マウンテンのようなバンドが、それです。

特にクリーム、ブラインド・フェイスで、そういうスタイルの先駆者だったエリック・クラプトンには、よりそういうバンドスタイルを期待していたので(ベックにも)、、、

ハードでもヘビーでもないレゲエのリズムに乗せた「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」を、女性コーラス入れて歌うクラプトンのこのスタイル、、、

賛否両論と書きましたが、ロックファンには否定的な人が当時は多かったです。

これはソロになってインストアルバムを発表したベックしかりで、クラプトンやベックには、マッチョなスーパーバンドの中のスーパーギタリストを期待する声が、特にロックファン、ギターキッズには多かったからです。

このへんは当時の時代の空気がわからないと、今の若い世代、或いは1970年代初頭には生まれてなかった世代には、わかりずらいかも知れないです。

まあ、レッド・ツエッペリンやディープ・パープルやグランドファンク。

フリーやバッド・カンパニーピンク・フロイドにイエスキング・クリムゾンにエマーソンレイク&パーマ、そしてザ・ローリングストーンズ等々、、、

当時の人気ロックバンドに、女性は全く入ってません。

当時のロックファンは、こういうマッチョなバンドの中でギターを弾くクラプトン、ベックを多いに期待してたわけです(所謂スーパーバンドで)。

ジミー・ペイジと違い、バンドの中の1ギタリストをやめた、エリック・クラプトンジェフ・ベック

そして、バンドの中の1ギタリストではなく、ソロ活動に入ったクラプトンとベックは、見事に!その期待を裏切ったわけですね〜(笑)。

てなわけで、マッチョな野郎ばかりのスーパーバンドで、多くのファンはクリーム時代ばりのソロを弾くクラプトンを期待していたのに、実際には女性コーラスを入れ、なんだか呑気なレゲエを歌うクラプトン。

しかも!スタジオ録音の「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」には、期待の!長いギターソロが全く入ってない(笑)。

ところがロックキッズやギターキッズの複雑な胸中とは裏腹に、シングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」も、アルバム「461オーシャンブールバード」も世界的に大売れ!!

クラプトンがロック界、ギターキッズ達のカリスマから、一般オーディエンスに広く知られるようになった、とっかかりがこのシングルでありアルバムだったと言えるわけです。

で、、、

♪あーいしょっとざしぇりーふ と「アイ・ショット・ザ・シェリフ 」の冒頭からハモってる女性は、東洋系のイボンヌ・エリマン。

ハワイ生まれで日系人のママをもつそうで、クラプトンもかなり気に言っていたのか?数年間、彼女をレコーディング&ツアーメンバーに起用し続けております。

又、イボンヌ・エリマンも、クラプトンのサポートの仕事をしながらもソロ活動を続け、、、

1977年にはビージーズがディスコブームを世界中で巻き起こした、映画「サタディナイト・フィーバー」のサウンドトラックの中で、ビージーズが楽曲を提供した「アイ・キャント・ハヴ・ユー」を歌い、、、

この曲は1978年、見事に全米シングルチャート1位を獲得してます。

 

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ザ・ビートルズのリンゴ・スターが出てたのに、エヴァ・オーリンの映画「キャンディ」をリアルタイム観てない自称「昔からのビートルズファン」親爺なんて、ボクは信用しない(笑)

 

 

 

エヴァ・オーリンの名を有名にした、1968年のアメリカ・フランス・イタリアの合作映画「キャンディ」。

が、「キャンディ」が日本で上映されたのは1970年の秋でしたから、1960年代の日本人は「キャンディ」を観てませんしエヴァ・オーリンの存在を知らなかった。

だから、ありがちですが後世の人が後追いでエヴァ・オーリンや映画「キャンディ」のファンになって、製作年の1968年をイメージし、当時の日本を想像してはいけないんです。

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完全にザ・ビートルズに「やられてた」私は、「キャンディ」は解散前のザ・ビートルズリンゴ・スターが出演していた映画だったので、動くリンゴ・スターが観たくて映画館に脚を運んだわけで、、、

リンゴのもう1つの映画「マジック・クリスチャン」しかりですが、内容は正直、面白いとは思わなかったです。

が、動くリンゴ・スターが観れただけでも嬉しかったし、そしてそこはこっちも思春期のとばくちもとばくち!詰め襟の世間知らずの青二才のバカ野郎ですから、、、

スクリーンのエヴァ・オーリンに(こんなセクシーで可愛い女のコが、外国にはいるのかよ〜!)と、目が点になったわけです(笑)。

エヴァ・オーリンは、わりと近年日本の若いコでも流行った「エロかわ」の元祖だったような気がしますね。

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まぁ〜、今は考えてみると凄い時代になったもんで、当時は当然ネットもビデオもなかったですから、エヴァ・オーリンの姿は映画館の中のスクリーンでしか観る事ができず、、、

後は「スクリーン」とか、雑誌の中のグラビアの1枚の写真のみ。

こんへんはザ・ビートルズもしかりで、アルバムやシングルのジャケットの彼等の表情や髪型、衣装などを何度も何度も観てはにやにやしたり、名画座系でザ・ビートルズの映画がやってると新聞の映画館上映案内でみつければ、電車賃払って観に行ってね。 

今だったらYouTubeにアップしてあるから只で観れる映画の「お気に入り」の1シーン観たさに、映画館に通ったものでした。

これインターネットのなかった80年代でも、レンタルビデオが発明されたので、それだけでも有り難くて重宝して嬉しかったですねー。

だって、70年代は映画館までいかないと、本当にソレは観る事ができなかったですから。

パティ・ボイドも、ヤア!ヤア!ヤア!で知るわけだね

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ネットショップの開業ならカラーミーショップ

例えば↑このシーン。

有名なエリック・クラプトンの「いとしのレイラ」のモデルになったパティ・ボイド(唯一演奏するザ・ビートルズと共に囲いの中にいる女性)観たさに!、、、

そして、動くザ・ビートルズ観たさに!、、、

新宿、渋谷、銀座は勿論、神奈川県の「相鉄スカラ」迄!、ザ・ビートルズ映画が上映される度、私は繰り返し観に行ってたわけで、思えば随分と私はザ・ビートルズにお熱だったと思います(過去形ではなく今もだけど)。

というわけで私はザ・ビートルズに「やられてなかったら」、一生!映画「キャンディ」は観る事はなかったでしょうし、エヴァ・オーリンを知る事もなかったでしょう。

ところが、私と同世代で「キャンディ」をリアルタイム映画館で観てる人に今まで会った事がないので、そういう人に「オレ昔からのビートルズファン」と言われても、、、

心の中で(動くリンゴ・スターが観たくて、「キャンディ」や「マジック・クリスチャン」を映画館まで観に行ってないようなヤツが、どうして昔からのビートルズファンなの?嘘つけよ)と、申し訳ないですが思ってしまいます。

(リアルタイムは、本当は和製ふぉーくとアイドル歌手が好きだったんでしょ?大人になって後追いで情報収集しても、それは限界があるよね)

と腹で思いつつも、面倒くさいから「大人の対応」で適当に話しあわせてますが(笑)、「キャンディ」を観てない自称「昔からのビートルズファン」なんて、全く信用してないです。

ちなみに「キャンディ」って、あまりヒットしなかったので再上映も殆どされなかったし、ビデオ化も相当!遅れ、一時はカルト映画扱いでしたから観てる人も知ってる人も、限られてましたから。


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